最終更新日:R5.2.21
「まぼろしのバルカン・ジェット」
- ブルガリア空軍 ジェット複座練習機 ラザロフLaz-14 -
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| 完成日: 2022/12/18 線画:サインペン スキャン後、Firealpacaで着色 |
| 【実機解説】 1954年、政変の混乱にゆれるブルガリア政府は、突如として国内航空機塞業の閉鎖を命じた。 小型レシプロ練習機 "Laz-7" の成功によって急速な発展をとげていたブルガリアの航空産業は、ここにきてその道を閉ざされたのである。 それでもブルガリアの航空産業の復活を夢見たベテラン航空技師ラザロフ博士は、若い技術者らとともに新たなジェット練習機の設計をひそかに進めた。 こうして1958年に完成した"Laz-14"の設計は、ブルガリア空軍での練習機としての使用に加え、フライトクラブでの曲芸飛行などにも適した、優れた運動性と高い汎用性を持つものであった。 しかし政府が他国からの航空機輸入に頼る政策を決めたことで、国内航空産業への厳しい制限が解かれることはついになく、この機体は一機たりとも製造されることはなかったとされる。 しかしある晴れた日のこと、ある空軍パイロットがバルカン山脈のはるか上空を気持ちよさそうに飛ぶ、見慣れない形のジェット機を目撃したという⋯ |
【余談】
デジタル彩色の練習として、日本では非常にマイナーなブルガリア製の計画機を描いてみました。
先述の通り、政治的な事情で計画倒れに終わった本機ですが、もし計画が実現していれば日本の「T-1」、ポーランドの「イスクラ」、チェコスロヴァキアの「S-29」に似た性格の機体であったといえましょう。
ブルガリアではWWII前より国営航空機公廟(DAR)やカプロニ・ブルガリア社の下で航空機の自国生産に取り組んでいました。
また、WWII後の共産政権下でもロヴェチ国営飛行機工場(DSF)にて自前の練習機「Laz-7」や小型高官専用機「Laz-8」を設計・製造していましたが、1954年の政変によって工場はお取りつぶしとなり、自動車・バイク製造への転換を余儀なくされました。
そして同国航空産業の要であったヅヴェタン・ラザロフ技師が1961年に急死したことで、同国の航空機産業は完全に終焉を迎えることになります。
下部の山脈は、ブルガリアの名勝地「リラ山脈の7つの湖」を参考に描きましたが、デジタル絵に慣れていなかったこともあり、ちょっといまいちです。