最終更新日:R6.1.17


かめりあ丸のキホン


「世界の艦船」86年6月号の裏表紙を飾った登場時のかめりあ丸。

内海造船瀬戸田 第508番船 貨客船「かめりあ丸」
(S60.9.10起工 S61.1.13進水 同3.25竣工)


かめりあ丸は、それまで北航路(東京-大島-新島-神津島航路)に充当されていた2,200屯級貨客船「ふりいじあ丸」の代替船として、1986年にデビューしました。

1970年代に加熱した「離島ブーム」が穏やかに収束しつつあった情勢下で登場したかめりあ丸は、当時の東京-伊豆諸島間生活航路の実情に適した、きわめて現実的で実用本位の仕様となりました。



船名に「椿」を意味する「かめりあ(Camellia)」を冠した同船。

見映えよりも小回りと使い勝手を重視した、103m級の控えめな船体。水深が浅く、うねりの影響を受けやすい港での仕様を考慮した、2機2軸のプロペラと浅い喫水。当時の島嶼インフラとマッチした、質実剛健な設計でした。
「サルビア」や「極楽鳥花(ストレチア)」のような派手さはなくとも、控えめながら孤高の優美さを持つ「椿」は、同船にとってぴったりの愛称であったといえましょう。


かめりあ丸の処女航海日は、一般的には1986年4月6日の定期運航開始日であるとされていますが、実際には4月4日と5日に運航された「太平洋上ハレーすい星観望と三原山火山教室のつどい」が、初の旅客を載せての航海であったようです。
共用スペースを広くとった汎用性の高い設計を活かし、就航年の夏にはさっそく東京湾納涼船へと投入。定期便から臨時便、さらには観光船まで難なくこなす万能選手として、大車輪の活躍をみせます。


時が流れて1990年代になると、港湾施設の改良、および造船技術の進歩により、それまでの伊豆諸島航路の枠組みでは考えられなかった新造船の投入が可能となります。そして1992年に投入された二代目「さるびあ丸」は、広い共用スペースなどといったかめりあ丸の利点を引き継ぎながらも船体を大型化し、東海汽船としては初めて5000屯級を達成した、前代未聞の船となりました。
フラッグシップの座を譲ることになったかめりあ丸も負けてはいられぬと、塗装を落ち着いた2色塗りに変更し、弱点であった横揺れの多さもフィン・スタビライザーの追設改造で克服します。


臨海副都心の開発や、2000年の三宅島噴火、僚船すとれちあ丸の引退など、東京湾・伊豆諸島近海を取り巻く風景の移り変わりを、20年以上にわたって見守り続けてきたかめりあ丸。決して華やかな船籍とはいえないまでも、生活航路の足として黙々と働き続けた同船は、登場から28年目となる2014年6月に引退。同年の夏、新天地インドネシアへと静かに去っていきました。
東京湾を去った「かめりあ丸」は、今日も遥か海の向こうの南洋で、人々や物資を運び続けています...



【登場時のスペック】

全長:102.87m / 垂線間長:92.00m / 全幅:15.00m
深さ:6.20m / 計画満載喫水:4.75m
総屯数:3,751t / 載重重量:1,013t / 普通コンテナ25個積載可能

近海(非国際)旅客定員:977名(沿海6時間未満の場合1765名) / 乗組員:54名

試運転最大速力:19.410Kts / 航海速力:17.2Kts
燃料油槽合計:201.34㎥/ 清水槽:119.92㎥
航続距離:3,380カイリ

※船舶技術協会発行「船の科学」1986年6月号より引用


【現役末期のかめりあ丸】

・フィンスタビライザー追設など改造のため、総屯数3,837tに増加
・客室改装/2等席指定化のため、近海旅客定員638名に減少
・ゲームコーナーなど一部施設撤去

【2022年現在、船名を"K.M. Adithya"に変更の上、インドネシア・サマリンダ-パレパレ間航路にて就航中】


2012年8月、御蔵島港にて撮影

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作成日 : R4.2.11