最終更新日:R6.2.1
3.「第二次世界大戦中のブルガリア航空産業」
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| 「DAR-10A」試作軽爆・偵察機。「DSF」ロヴェチ工場で試作され、テストが行われた。(1942年撮影、パブリックドメイン) |
1. 戦時体制下の国内航空機工場空軍による空軍力拡充の要求に応えるべく、ブルガリア北西部のロヴェチ市への設置が決まった「国営航空機工場(DSF)」は、ポーランドより派遣された技師たちの協力のもと、1939年より建設が開始された。完成のあかつきには、ポーランド製PZL P37C型爆撃機を150機、チェコ製アヴィアB-135型を50機ライセンス生産し、ブルガリア空軍に引き渡すことが予定されていた。しかし第二次大戦の開戦により、これら当初計画は大幅な変更を余儀なくされた。
第二次大戦開戦後もしばらく中立を保っていたブルガリア王国であったが、勢力を徐々に拡大するドイツからの圧力により1941年には枢軸同盟に参加した。枢軸国ブルガリアでは、同盟国ドイツからメッサーシュミットBf-109戦闘機・ドルニエDo-17爆撃機などを輸入する一方で、国内における航空機の開発・製造も継続された。同年完成した国営航空機工場「DSF・ロヴェチ」、および以前より稼働を続けていた「カプロニ・ブルガリア」社カザンラク工場では、戦時体制下での航空機増産が急がれた。
「DSF・ロヴェチ」においては、まず1941年に「DAR-9」初等練習機が36機製造され、戦時下におけるパイロット養成に役立てられた。また、戦前より計画されていた「DAR-10」軽爆撃・偵察機の試作およびテスト飛行も行われたが、量産化は見送られ、1945年には開発が凍結された。
1942年には戦時中のライセンス生産計画に基づき、ドイツ占領下のチェコスロヴァキア・アヴィア社工場から「B-135」型戦闘機の部品が12機分移送されて組み立てられ、1943年には空軍へ引き渡された。上述の通り、全50機分のライセンス生産が予定されていた「B-135」であるが、1943年夏ごろになるとドイツ軍の戦況が悪化、アヴィア社の生産ラインおよび資源はすべてドイツ軍向けに振り向けられることとなったため、それ以上の生産は中止された。
同時期、「カプロニ・ブルガリア」社カザンラク工場では軽爆撃・偵察機「KB-11」が生産され1940年から1945年までに43機が製造されたほか、訓練用の無動力機(グライダー)の製造も行われた。なお同社は1942年に倒産し、工場は国営航空機工場「DSF・カザンラク」としてブルガリア政府の管理下に入った。
2. 戦時下の動向1941年から44年までの間、ブルガリアは連合軍爆撃機隊による執拗な爆撃を受け、空軍は対応に迫られた。迎撃部隊の主力はメッサーシュミットBf-109、アヴィアB.534、ドボワチンD520などといった機体であり、国営航空機工場「DSF・ロヴェチ」の設備はこれら機体の修繕・改造において活用された。
1944年9月5日、ソヴィエト連邦がブルガリアに宣戦布告。9月9日にはクーデターによって共産主義政権(ブルガリア人民共和国)が成立した。1945年に入ると、人民政府によってブルガリア空軍の再建、そして国内航空産業の再構築が図られることになる。
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